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みんなはどのくらい七夕を知ってる?七夕の由来の基本!

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自炊が楽しくなる話

七夕を知らない人ってあまりいませんよね。

学校行事でもありましたし、笹を飾って短冊に願いをかける、のは定番です。

その由来にまつわるお話もあまりにも有名です。

織姫と彦星の、あれです。天の川のアレです。

話が少しロマンチックなせいなのか、知らない、って人はもしかしたらいないんじゃないでしょうか。

だったらもう解説してもらわなくてもいいんじゃない?

なんて思ったそこの人!

そんなわけないじゃないですか!

その逸話があまりにも有名だからこそ、七夕の本来の姿が見えにくくなっているのが今の七夕なんです!

というわけで今回はこれ!

知っているようで知らない、七夕の由来の基本を知ろう!

そもそも七夕とは何なのかと言えば、五節供のひとつということになります。

この「五節供」とは何なのかということですが、ピンと来た人はこのブログをしっかり読んでくださっている方かもしれません。

一年の中で、この七夕が訪れる前に訪れる五節供は3つ。

お正月明けに七草粥を食べる七草の日

女の子の節句ともいわれるひな祭り

そしてゴールデンウィークを構成するこどもの日です。

これらに関してはこちらの記事でご紹介、解説しているので、興味がある方は読んでみてください。

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これらの記事にも書かれている通り、五節供として数える行事は、

人日の節供(1月7日)

上巳の節供(3月3日)

端午の節供(5月5日)

七夕の節供(7月7日)

重陽の節供(9月9日)

となり、七夕は四つ目になるんですね。

さて、では「七夕の節供」とは、いったいどんな行事なのでしょうか。

まずは誰もが知ってる七夕のお話

七夕にはほぼみんなが知っているのではないかという逸話、昔話のようなものがありますよね。

織姫と彦星、もしくは織女と牽牛のお話です。

みんな知っていると思うのでかいつまんで話をおさらいすると、

天の神の娘は機織りが上手で、とてもキレイ織物を作るまじめな娘でした。そんな娘の結婚相手を探した天の神は、地上に住む、大変働き者の牛飼いの男「牽牛」を見つけ、結婚させました。

しかし結婚したとたん二人はまったく働かなくなり、見かねた天の神は二人を引き離し、天の川の西と東に分けてしまうのでした。

すると二人は今度は悲しみに暮れて何もできなくなってしまい、さらに見かねた天の神は「7月7日だけ会うことができる」という約束をしました。

これで喜んだ二人はまたまじめな働き者に戻ったのでした。

むかしのお話ですからツッコミはなしにしまして、とにかくそんなお話です。

このお話のルーツは中国であるとされ、織女はこと座の「ベガ」、牽牛はわし座の「アルタイル」だとされていて、実際に天の川を挟んでこれらの星は存在します。これに白鳥座の「デネブ」を加えたのがいゆる「夏の大三角」ですよね。

七夕の伝説ともいわれるこのお話は、元祖の中国でも7月7日ですが、でも、実は、これが七夕の由来なのかと言えば、微妙に違うんですよね。

このお話は、いわゆるルーツのルーツなんです。

七夕のルーツは乞巧奠(きっこうでん)

織姫と彦星の伝説、お話があり、それをルーツとして中国で行われていた行事が「乞巧奠」です。

乞巧奠は、織姫が織物が得意であったことから、裁縫が上達するように願いをかける行事として始まり、やがて織物だけでなく芸事なども祝うようになりました。

この乞巧奠が日本に伝わったのが奈良~平安時代。ただ、最初は宮中のみで執り行われる宮中行事として始まりました。

内容としては、様々なお供え物と共に葉っぱに和歌を書いて祀っていたようです。「織女と牽牛」のお話も伝わっていましたから、星を眺めながら行事を楽しんでいたと言います。

ここで七夕の原型と言える、文を書いて祀るという形ができます。

江戸時代に七夕の節供が確立する

宮中行事であった乞巧奠が庶民にも広まったのは江戸時代のことです。この時にはすでに「七夕(たなばた)」と呼ばれ、一般的にも、お供え物をして願い事を書くようになりました。当初は葉っぱに書かれていた願い事ですが、このころから身近に手に入れることができる短冊に願いを書くようになったようです。

このころには庶民の間でも習い事や歌などを学ぶようになっていたので、その上達を願うという意味で七夕はちょうどよい願掛けだったのかもしれませんね。

七夕は本来お盆

ここで気になるのは、五節供には「厄払い」の意味が込められていること。

でもここまで聞いた感じだと厄とは縁遠い七夕。

しかし七夕も五節供のひとつです。

一体どういうことかと言えば、もはや五節供の定番と言える旧暦のマジックですね。

七夕は、本来旧暦でいえばお盆の時期になります。

この世とあの世がつながりやすいこの時期に、七夕に厄払いの要素を加えるのはごく自然なことだったのですね。

乞巧奠が「七夕(たなばた)」という呼び方になったのも、7月7日がお盆であったことに端を発しています。

もともとこの時期には、「棚機(たなばた)」という行事が日本で行われていました。これはお盆を迎える前準備として、乙女たちが穢れを払う織物を織るという行事です。この厄除けの意味合いが強い棚機(たなばた)と乞巧奠(きっこうでん)が合わさって行事が今の形になっていきました。7月7日の夕方を「七夕(しちせき)」と書いていたことから、これが転じて

「棚機(たなばた)」+「七夕(しちせき)」=「七夕(たなばた)」

となったのです。

七夕でやるべきことは

このように、ルーツを辿るとちょっと複雑化してくる七夕ですが、結局基本的なことは変わりません。

織女と牽牛にちなんで星を楽しみ、願い事をかける。
神聖な竹に願をかけた飾りつけを施し、厄を払う。

そうですね、皆さんが七夕としてやっていることそのものです。

最終的にはスタート地点に戻っちゃいましたね。

でも、七夕という行事が辿ってきた歴史の奥深さを知って、かける願いや七夕飾りなどにも、少し違った気持ちで臨めるのではないでしょうか?

むかしから人々は天の川に物語を見出し、それを信じて様々な歴史を紡いできたのです。五節供の中でもずば抜けてロマンチックだなと思うのは私だけでしょうか?

厄払いにも、そんなロマンがあってもいいですよね。

ちなみに七夕で食べるべき物は

七夕で食べる行事食と言ってもあまりピンとこない人もいるかもしれませんが、もちろんちゃんとあります。

それは次の記事で紹介しているので、よろしければあわせてお読みくださいね。

 

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